信玄の棒道

2015年7月17日

八ヶ岳では有名な、信玄の棒道。棒道(ぼうみち)は、武田晴信(信玄)が開発したとされている軍用道路と言われています。

八ヶ岳 信玄の棒道
北杜市観光協会

棒道(ぼうみち)は、武田晴信(信玄)が開発したとされている軍用道路。八ヶ岳南麓から西麓にかけての甲信国境(甲斐国(山梨県)と信濃国(長野県)の境)を通る。甲斐国北西部の逸見筋(現在の北杜市域)にあたる山梨県北杜市(旧北巨摩郡小淵沢町、長坂町)や長野県富士見町には現在でも上の棒道、中の棒道、下の棒道の三筋が残されており、それぞれ市・町指定の史跡となっている。地元では信玄棒道と呼ばれており、「棒道」の由来は、荒野にまっすぐ一本の棒のように存在していたので棒道と呼ばれるようになったとされる。

wikipedia

八ヶ岳の散策・ウォーキングコースとして親しまれています。
ところどこに並ぶ石仏で古(いにしえ)に浸ってみるのもまた素敵です。

武田信玄が北信濃攻略のために造った軍用道路と伝えられる古道は、八ヶ岳山麓を捧のように真っ直ぐに貫くことから「捧道」と呼ばれています。
戦国時代、武田の騎馬軍団が蹄の音も高く駆け抜けていった林の中の道は、今は、野鳥や野の花、小動物に出会う自然散策路となり、冬には日本カモシカも山奥から降りてくるという。
捧道沿いに並ぶ石仏は、江戸時代、「西国三十三所」、「坂東三十三所」の霊場を模して安置されたもののようで、今も昔のままに豊かな表情をたたえて佇んでいます。
歴史と自然にふれる捧道は、「美しい日本の歩きたくなる道500選」にも選定されています。

北杜市

北杜市観光協会小淵沢支部のホームページに信玄の棒道のウォーキングコースが詳しく掲載されています。
是非、八ヶ岳の歴史ある道を歩いてみてくださいね♪
信玄の棒道 ウォーキングマップ

Wikipedia情報

棒道
棒道(ぼうみち)は、武田信玄 武田晴信(信玄)が開発したとされている軍用道路。八ヶ岳南麓から西麓にかけての甲信国境(甲斐国(山梨県)と信濃国(長野県)の境)を通る。甲斐国北西部の逸見筋(現在の北杜市域)にあたる山梨県北杜市(旧北巨摩郡小淵沢町、長坂町)や長野県富士見町には現在でも上の棒道、中の棒道、下の棒道の三筋が残されており、それぞれ市・町指定の史跡となっている。地元では信玄棒道と呼ばれており、「棒道」の由来は、荒野にまっすぐ一本の棒のように存在していたので棒道と呼ばれるようになったとされる。別名は大門嶺口(だいもんどうげぐち)。
同時代文書では『高白斎記』『勝山記』など武田氏側の記録や諏訪地方の「守矢家文書」等には一切みられず、長野県佐久町高野の「高見沢文書」に含まれる天文21年(1552年)10月6日付武田晴信印判状を唯一のものとしている原本は個人所蔵。『戦国遺文』『山梨県史』資料編4県内文書『信濃史料』第11巻などに収録、『茅野市史』資料集中世には写真図版が収録。。これは甲府から信濃諏訪郡へ至る道の建設を「勧進」により行わせ木々の伐採を命じている内容で、武田氏龍朱印があるが宛名部分はすり消されており、この文書の評価を巡っては論争がある(棒道論争)。ほか、江戸時代初期の慶応4年(1651年)の「逸見筋小淵沢村四ヶ村山論裁許絵図」(小淵沢郷土資料館蔵)には「ぼう道、中道」の二筋が記されており、江戸後期に編纂された甲斐国地誌である『甲斐国志』には三筋説が記されている。
(by WikipediaAPI)

Posted by 32@wan